紙管の切り売り販売 販売の経緯

トップページへ 時は、昭和48年…(私が、小学校4年生の頃…) 図書館で何気なく見ていた星座の本を頼りに 天体望遠鏡で星を見せてくれる先生と知り合います。 しかし、夏のある日、先生が他界! それと共に、天体望遠鏡を見せてもらえなくなり 天体望遠鏡が欲しいと思い、親にネダルが、 「構造がわかれば、私が作ってあげる…」という親父の言葉が返ってきて、 それでは…と、学校の理科の先生に、 天体望遠鏡の構造を教えて欲しい…と頼み込むが 理科の先生から「理科室に凸レンズと凹レンズがある、そういうレンズを 組み合わせて、自分で考えろ!」と投げやりに出られ 私は、毎日、理科室で風景を見ながら研究を重ねました。 ある日、風景が逆さまになる事と、 凹レンズを組み合わせると、多少、青色がなくなる事を 発見!それが天体望遠鏡の原理でした。 それを先生に言うと、「いいところに気が付いたな! 色は、波長によって分けられ、波長の長いもの、 短いものがそれぞれあるので、その波長によって屈折率が 変わってくるんだよね、だから、凸レンズだけだと 青色が残ってしまうんだ。 それを凹レンズなどで補正して、同じ焦点距離になるように 補正したものが色消しレンズ(アクロマートレンズ)なんだよ。」 と教えてくれたです。 その後、天体望遠鏡のメーカーを理科の先生に 教えてもらい、私が設計して親父に旋盤で作ってもらった 天体望遠鏡は、今でも四半世紀すぎても使っています。 6cmの屈折望遠鏡です。 私の初代の望遠鏡です。 その後の私は、お年玉などを貯めて 中学3年の時に、口径10cmの反射望遠鏡を買い 写真撮影などを手がけるようになります。 更に、高校では、地学部(天文部)に入り 部長までして、文化祭でプラネタリウムの解説まで やりました。 そのプラネタリウムの解説経験を生かして 大学の学生時代に、仕事で、 プラネタリウムの解説員を4年間勤めました。 …途中略… 現在、 口径25cm(f4.8)反射望遠鏡と、 中学時代に購入した口径10cm(f10)反射望遠鏡に 私の小学生時代に設計、親父が製作してくれた 口径6cm(f16)屈折望遠鏡を載せた2連式 赤道儀式望遠鏡 自作の口径10cm(f5)ポータブル反射望遠鏡 の大きく分けて3台所有にて 天体望遠鏡/出張指導サービスを行っています。 ぶんたの天体望遠鏡/出張指導サービス しかし、その私の原点は、小学校時代の理科の先生に 突っぱねられて、自分で虫眼鏡を利用して 紙管を片手に、あの手この手で、 研究したあの日々にあります。 突っぱねられて、頭にきて授業にも出ず 凝って研究した日々にあります。 今から考えたら、あの先生に手取り足取り 教えて戴いていたら、今の私は、なかったでしょう。 突っぱねてもらって、私の個性が育んだ訳です。 どうか、この紙管を利用して、子供の 想像力と個性の育成に力を注いで下さい。 自分で考えて、創造して作り上げる… これ、まさに、今の日本に足りない教育だと 思っています。 どうか、親御さんも頑張って協力してあげて下さい。 現在、私は、小学生時代からの個性を 育み、7つの職業を平行して行っています。 個性豊かに生きる事が、これからの子供が 大人になった時の命綱になる事でしょう。 元プラネタリウム解説員       平森 文雄(ハンドルネーム:ぶんた)
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